のんびり開拓記~フルダイブして、お庭を作っています~#2

 丘の上に戻ってきた私は、手元にある小さな紙袋を愛おしく見つめた。中に入っているのは、平べったくて小さな、トマトの種だ。この「ハコニワ」という世界では、植えるものひとつとっても、自分の心が本当に求めるものを選び取ることができる。私は迷わず、太陽の光をたっぷり浴びて育つ、真っ赤なトマトを選んでいた。

「よし、ここにしよう」

 私は膝をつき、日当たりが一番良くて、柔らかな風が通り抜ける一角を選んだ。指先で土に小さな穴を掘ると、フルダイブ機が再現する「ひんやりとした土の湿り気」が驚くほどリアルに伝わってくる。現実の世界では、アスファルトの上を歩き、パソコンのキーボードを叩くばかりで、こうして土の感触を確かめる機会なんてほとんどなかった。指先を優しく包み込む土の重みは、それだけで強張っていた私の心を解きほぐしてくれるようだった。

 一粒一粒、慈しむように種を落としていく。現実の都会では、何かを「育てる」ために数分間も立ち止まる余裕なんて、いつの間にか失くしていた気がする。でも、この世界では一粒の種と向き合う時間が、何よりも贅沢な娯楽になるのだ。

 土を優しく被せ、先ほど小川から運んできたばかりの水をジョウロで注ぐ。「さらさら」と乾いた土が水を勢いよく飲み干していく音が、静かな丘に心地よく響いた。ジョウロの先からこぼれる水滴が、西日に照らされてダイヤモンドのように光を散らしている。

「早く芽が出るといいな。……美味しいトマトになってね」

 そんな独り言が、風に乗ってふわりと消えていく。その時、ふと背後に温かな気配を感じて、私はゆっくりと振り返った。

 そこには、一匹の小さな猫が座っていた。ゲームのキャラクターらしい派手な装飾があるわけではなく、どこか気品のある、けれど親しみやすい茶トラの毛並み。その猫は、新米開拓者の私の様子を、品定めでもするようにじっと琥珀色の瞳で見つめていた。

「……こんにちは。あなたもこの庭が気に入ったの?」

 そよ風に声を乗せてそっと語りかけると、猫は「にゃあ」と短く、鈴を転がしたような澄んだ声で鳴いた。警戒する様子もなく、私の足元までトテトテと柔らかな足取りで歩み寄ってくると、植えたばかりのトマトの苗床のすぐ横で、くるりと丸くなって目を閉じる。まるで、そこが太古の昔から自分の特等席であったかのように。

「ふふ、そこは日向ぼっこにちょうど良さそうだね」

 私はその隣に座り直し、猫の柔らかな毛並みに指を沈めてみた。手のひらから伝わる生き物特有の確かな温もりと、規則正しい鼓動。現実で溜め込んでいた小さなストレスや疲れが、その温もりに溶けて、足元の土に吸い込まれて消えていくような気がした。

 ふと空を見上げると、世界はゆっくりと黄金色から深い茜色へと染まり始めていた。 遠くで揺れる木々のざわめき、小川のせせらぎ、そして隣で眠る小さなお客さまの静かな寝息。 私はただ、夕暮れの空が深い紺色に変わっていくのを、時間を忘れて眺めていた。

 明日、この場所に来るのが今から楽しみで仕方ない。 トマトの芽が出る頃には、この庭はどんな景色になっているだろう。 そんな温かな期待を胸に、私はゆっくりと深く、この清らかな空気を吸い込んだ。

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